右手を眺めて

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私は、脳出血の後遺症で右半身不随となり、後にうつ病に陥ってしまった自分の手記を綴り始めた。半身不随とうつ病に向き合うために。 身体障害と精神病。これらを正面から向き合って理解すること。これは私にとって過酷な作業であり、また時には残酷な作業でもある。

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16話

こんな筈じゃなかった

その年、オラァ4月に辞令が下りてハウスの番人になる筈だっただ。
26町歩の畑、その苗を作るハウスの番人になる筈だっただ。
収穫期から逆算して定植日を決める。定植日から播種日を計算する。2月から9月まで、畑と相談しながら種を蒔き、苗を育てて畑へ送り出す仕事だ。オラァその番人になる筈だっただ。
1月の末、脳出血になった。ちょうどその年の播種計画が出来上がった次の日だっただ。

こんな筈じゃなかった

歩けなくなった。右腕も動かなくなった。自分の右腕がどこにあるのかも解らなくなっちまっただ。
2月から5月まで、治療とリハビリに専念しただ。先ず親指が動いた。次に人差し指が動いた。少しずつ、確実に動き始めた。
車椅子から降りれるようになった。杖で歩けるようになった。平地を杖なしで歩けるようになった。階段を使えるようになった。
毎日、暇さえあればゴムボールを右手に歩き回っただ。
会社がオラァの仕事を作ってくれただ。嬉しかった。こんな体でも目一杯使って働こうと思った。
退院の次の日、オラァもう仕事場にいた。仕事場にいるだけでも嬉しくて楽しくて、みんなも知らない顔じゃないし、歓迎してくれた。

こんな筈じゃなかった

その仕事も1週間も続けて行けなかった。行きたいだけど行けないだ。
会長も部長もいろいろ策を練ってくれた。でも行けなかっただ。
うつ病だった。
もう仕事へは行けなかった。入院しちまった。

こんな筈じゃなかった

それでも会社は待っていてくれるだ。会長も部長も復帰できるようになったらいつでも来いって言ってくれるだよ。
先生に相談した。先生は元の環境には戻したくないと言う。会社へは戻したくないって言うだ。

こんな筈じゃなかった
こんな筈じゃなかった
こんな筈じゃなかった

オラァの腹の底、どろどろした言い訳は「こんな筈じゃなかった」だだよ。
posted by たけぱん | Comment(0) | TrackBack(0) | 手記
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